夏のおもいで。In those summer days.
8月の無気力は伝染するようだ。
前年よりもり大きなRV車は、いくらかのゆとりをもたらしてくれたけれど、息の詰まるような午後の時間はどこまでも続いているように思えた。 中央道を抜け、松本を過ぎると、道はとたんに細く心もとなくなる。川沿いの細い峠道。延々と続くワインディングロードに追い越しもままならない。
故郷である日本海の波音が待ち遠しいというのに、目的地は夕暮れの彼方へと遠ざかっていくように感じられた。
後部座席で退屈を持て余した幼い君たちは、すれ違う車のナンバープレートをぼんやりと目で追い、少しだけ開けた窓から手をすり抜けさせては、まとわりつく生ぬるい風を架空の形に切り裂いていた。
だけどあの日、夕闇に溶けていく景色の中で過ごしたあの気だるい時間こそが、今思えば、最も贅沢な夏休みの一部だったのだと、大人になった今の君たちは知っている。

窓の外では、故郷の美しい風景が、まるで古いフィルム映画のように静かに流れ去っていた。 果樹園の木漏れ日、青々とした野菜畑、風に揺れる田んぼ、名も知らない花、そして川岸の緑。 幼い頃は見向きもしなかったそれらの風景が、どれほど控えめで、目が眩むほどに多様な美しさを秘めていたか。そしてそれが、気づかぬうちに君たちの心の深い部分を、夏の終わりの茜色のように染め上げていたことに、今はただ驚かされる。 かつて無関心だったその景色に、今ではどうしようもなく心を揺さぶられているのだから。
それは、古い田舎の縁側であれ、地方都市のバーの片隅であれ、この国のどこにでも息づいている、静かで変わらない情景。
二つの川に抱かれ、明治の文豪たちがその名を刻んだ日本海沿いの静かな町。 夕暮れ時、川べりのカフェレストランで色褪せた日よけの下に座り、生ぬるい風に吹かれている。 冷たいビールで喉を潤すべきか、それとも幼い頃の記憶を呼び覚ますようなクリームソーダにすべきか。迷いながら、黄昏の光が差し込むバックバーに目をやる。
そこには、ささやかな驚きが待っていた。見慣れたジャパニーズ・ウイスキーのボトルたち。その傍らで、ラムや、スコッチウイスキーの影に混じり、永遠に時を止めたような、埃をかぶった一本の「ペルノ」が、窓から差し込む斜陽を反射して鈍くくすんだ光を放っていたのだ。
7月の眩しい光の下でも、8月の終わりを告げる蜩の声の中でも。 信州の山並み、日本海の潮騒、あるいは京都の路地裏。どこへ向かう旅路であっても、夕暮れが近づくと同じような光景が思い出される。
ふと、あの日の記憶が蘇る。 GPSなど影も形もなかった時代。ダッシュボードのグローブボックスから溢れ出していた、古びたロードマップ。 その裏表紙に記されていたある言葉が、西日が沈みゆく静寂の中で、確かな響きを持って蘇る。
「最高のパフォーマンスは、持続するものである」と
