杯を掲げよう。かつて月明かりを道標に荒波を越え、霧深い谷間で密かに炎を燃やした、すべての悪党と自由を愛する者たちのために。
夜の帳が下り、分厚い海霧が入り江を白く染め上げる頃、波の音に混じって軋む船の音だけが微かに響く。
中世の薄暗い修道院の奥深くで、アイルランドやスコットランドの修道士たちが錬金術の如く生み出した琥珀色の液体。彼らが「ウイスキー(Uisge Beatha=命の水)」と呼んだその至高のひとしずくは、いつしか静寂な祈りの場を離れ、血と硝煙、そして荒々しいピカレスクの舞台へとその運命を移していった。
決定的な亀裂は、1746年の「カロデンの戦い」だった。 冷たい雨が打ち付ける荒野で、イングランドの支配に抗い、自由と誇りを懸けて剣を抜いたハイランドのスコットランド氏族(クラン)たちは、圧倒的な武力の前に無惨に散った。イングランドは彼らのタータンを取り上げ、バグパイプの音色を禁じ、その文化ごと息の根を止めようとしたのだ。
さらに1757年、大規模な不作を理由にイギリス政府が蒸留酒の販売を禁じるという暴挙に出た時、進取の気性に富むスコットランド人がただ黙って引き下がるはずがなかった。時の権力者たちが、彼らの魂そのものであるこの「命の水」にまで重税をかけ、民衆から強引に奪い取ろうとした時、ここから大規模な密造と密輸の時代が幕を開けたのである。
18世紀の終わりが近づくにつれ、「ゲール人の追放」としても知られる悪名高いハイランド・クリアランス(領主による農民の強制立ち退き)が進行し、これがイギリス政府に対するハイランド人の憤りの炎に油を注いだ。 ケルトの血を引く末裔たちの反逆の炎は、決して消えはしなかった。かつてイングランドの羊毛を密輸して暗躍した「アウラー(Owlers)」たちのように、誇り高き反逆者たちは地下へ潜り、スマグラー(Smuggler=密輸業者)として立ち上がったのだ。銃を蒸留器に持ち替え、夜の闇に紛れて権力者に抗うこと。18世紀を通じてブリテン島全土で最も割のいい「裏のビジネス」として根を下ろした密輸は、スコットランド人にとってはイングランドへの意地を懸けた、終わりのない静かなるゲリラ戦でもあった。
ハイランド地方において、スマグラーを単なる犯罪者や無法者とする見方は消え去った。彼らはむしろ一つの立派な職業として、あるいは「神から与えられたゲール人の正当な権利」として、民衆から熱烈に支持されるようになっていったのである。
月明かりだけが彼らの道標だった。 スコットランドの近づきにくい島々、深い渓谷(グレン)、そして険しい岩山は、「ガージャー(Gauger)」と呼ばれた徴税官たちの詮索好きな目から逃れるための、完璧な隠れ場所となった。 最も貧しい島民たちにとって、自ら育てた穀物を蒸留することは生きるための術でもあった。概して、見つかりにくい隠れ家でウイスキーの蒸留を行うのは女性たちの役割であり、荒波を越え、峻険な山を越えて危険な密輸(スマグリング)を行うのは、男たちの役割であった。
波荒きアラン島やアイラ島では、アードベッグやボウモア、ラフロイグのような強烈な潮の香りを纏う酒が造られた。夜のアラン島、人気のないキルモリーの海岸。スマグラーたちは馬と荷車を引き、隠れ小屋から夜通しウイスキー樽を運んだ。そして「ウェリー(Wherries)」と呼ばれる小さな平底舟に5つの樽という貴重な積荷を積み込むと、荒れ狂う天候の中、真夜中の本土へと向けて出航した。強烈なピートの香りは、荒波を渡る反逆者たちの血を滾らせた。
一方で、内陸の緑豊かなスペイサイド(Speyside)の谷間でも、まったく異なる至高の「命の水」が密かに滴り落ちていた。冷たく澄んだ湧き水と深い谷の静寂が育んだ、華やかでエレガントなグレンリベットだ。 陸のルートを往くスマグラーたちは、この黄金の液体を満たした小樽を手際よくロバの背に括り付けた。一歩足を踏み外せば谷底へ落ちるような険しい獣道を、足音を殺して進んでゆく。分厚くフォギーな霧が立ち込め、苔むす木々が亡霊のように立ち並ぶ森の奥深く。彼らは凍てつく夜露に濡れながら、息を潜め、ガージャーの目を逃れて夜通し幾つもの険しい峠を越え続けた。
町や村の路地裏では、「ブラダーマン(Bladdermen)」と呼ばれる者たちが暗躍した。彼らはズボンの下に「命の水」を満たした豚の膀胱(ブラダー)を隠し持ち、密かに酒を分配して歩いた。より大規模なスマグラーたちに至っては、もはやコソコソと隠れることすらしなかった。彼らは武装集団を組織して堂々と移動し、それぞれが金属製の容器に入れた30リットルものスピリッツを体に縛り付けていた。
海峡の向こうでナポレオン戦争(1803~1815年)の火蓋が切って落とされた1800年代初頭、高騰する税と手薄になった国内警備は、スマグラーたちに忘れがたい「黄金時代」をもたらした。 1698年に税関・歳入局が沿岸部に配備した299人の「ライディング・オフィサー(騎馬税関吏)」など、スマグラーたちにとってはただの案山子に過ぎなかった。馬に跨り、現行犯で捕まえようと息巻く彼らは、コネで採用された無能ばかり。成果はゼロであるばかりか、奴ら自身が裏で密輸の上前を撥ねていると噂されるほど腐敗していた。山陰に隠したウイスキー樽も、フォギーな森を抜けるロバの足跡も、入り江に息を潜めるウェリーも、彼らの節穴のような目には決して映らず、ただ恐れをなして近づくことすらできなかった。一体、誰がスマグラーたちを責められるだろうか?
しかし、どんなに痛快で美しい反逆の夜にも、やがて白みゆく朝が訪れる。
1815年、ワーテルローの地でナポレオンが敗れ去り、長い戦争が終わった。すると、かつてフランスの巨大な軍艦と渡り合っていた大英帝国が誇る「王立海軍(ロイヤル・ネイビー)」が、暇を持て余し、その冷酷な視線を母国の沿岸へと向けたのである。 翌1816年、海軍はイギリス沿岸を徹底的に封鎖した。
もはや相手は、陸の上しか知らぬ無能な役人ではない。血と硝煙の匂いを肌で知る、本物の海の狼たちだ。彼らは、スマグラーの乗る漁船上がりの密輸船を瞬く間に追い詰め、わずかでも疑わしい船影があれば容赦なく牙を剥き、大砲の火を吹かせた。 海軍の艦長たちは「沿岸警備隊命令書(Coast Guard Order Book)」という厄介極まりない手帳を共有し、見事な通信網と手紙のやり取りでスマグラーたちの動きを完全に先読みしてみせた。かつて月夜の入り江や霧深い谷で繰り広げられたロマン溢れる逃走劇は、海の男たちによる冷酷で無慈悲な狩りへと変わってしまったのである。
そして、スマグラーたちに止めを刺したのは、砲弾ではなく「平和」そのものだった。 平和は、スマグラーたちの最大の武器であった「価格差」を音もなく奪い去った。戦時税が次々と撤廃され、1848年に穀物法が廃止されると、450品目にも及ぶ関税が法典から消え去った。自由貿易の巨大な波が押し寄せ、茶もタバコも、そしてあの命の水も、誰もが合法的に、安く買える時代が到来したのだ。誇りを胸に嵐のクライド湾を渡り、苔むす険しい峠を越える意味など、もう世界のどこにも残されていなかった。
こうして莫大な利益は干上がり、あとに残されたのは途方もないリスクだけとなった。重いウイスキー樽を軽々と転がし、月を見上げて豪快に笑っていた漁師や労働者たちは、やがて静かに船やロバから離れ、真っ当な仕事へと戻っていった。19世紀半ば、あれほどまでの栄華を誇り、闇夜を支配したスマグラーのネットワークは、潮が引くように歴史の表舞台からその姿を消したのである。
もちろん、暗闇に紛れて非合法な品を運ぶ者たちが、今日の世界から完全に絶滅したわけではない。だが、ハイランドの深い霧とヘブリディーズの荒波を友とし、国家の重税を軽やかにかすめ取って「命の水」を運んだ、あの痛快でロマンに満ちた悪党たちの黄金時代は、二度と戻らない。
今宵、グラスに注がれた琥珀色のウイスキーを傾けるときは、どうか少しだけ目を閉じ、耳を澄ませてほしい。 グラスの奥から、荒波に打ち砕かれるウェリーの軋む音や、夜露に濡れたロバのひづめの音、そして鎮魂歌のように吹きすさぶハイランドの風の音が聞こえてくるはずだ。イングランドの役人を出し抜いて高笑いする、誇り高き月明かりのスマグラーたちの声が、遠い記憶の底から静かに響いてくることだろう。
